2010年12月09日

夫婦の愛情って...

いきなりですが、「夫婦の愛情」って何なのでしょうか?

実は、いろんな人に尋ね、いろんな本も読みましたが、まだ分からないところが多くあります。
それでも、確信を持った部分もあります。

夫婦の愛情の基本は「兄弟姉妹の愛情」だ
という話は、私の中では確信になってきました。

男女ですから性的な(精神的にも肉体的にも)愛情はありますが、それは時間にしてみれば僅かなものです。中には一日中そのような関係の夫婦もいるかもしれませんが...。

我が夫婦の場合、大半の時間は、「兄と妹」か「姉と弟」のような関係になっています。

たとえば、妻の両親も私の両親になりましたから、どちらかの親の話題をするときは兄弟姉妹のような関係になります。

それに、夫婦は基本的に対等の関係だし、協力し合う関係です。

困ったことや迷っていることがあれば、お互いに相談し合って考えます。

また、兄弟の夫婦が集まったときには、違和感なく妻も含めて皆が兄弟みたいな錯覚を覚えるほどです。


そんなわけで「夫婦の愛情の基本は兄弟愛だ」という話は、自分では強く納得しています。

そう考えると、「恋愛の前に、十分な友情経験が必要だ」というよく聞く話も辻褄(つじつま)が合います。
兄弟姉妹の愛情が分からないうちに恋愛をすると、性的な関係がメインになる恐れもあるでしょう。

少子化によって兄弟姉妹の関係を築きにくい時代になりました。
どこかで兄弟姉妹の情関係や友情関係を十分に経験しないと、夫婦になったときにどうしていいか分からず、不自然な関係になって苦労するかもしれません。

この推論、妥当なのでしょうか。
posted by こまもりパパ at 19:31 | Comment(9) | TrackBack(0) | 子育て情報

2009年02月25日

子どもを産んで親になる

当たり前のことですが、もう少し深く考えてみます。

母親が子どもを産み育てることで親の愛情を持つように成るという話しです。これは私の体験というより一般的な話だと思います。

【第1段階】
男女が愛し合い結婚をします。「子どもが欲しいね」って言ったときの動機は?
 ・二人の愛の結実が欲しいという願望
 ・子どもが欲しいという願望
 ・親になりたいという願望
 ・自分の夢を子どもに託したいという願望
 ・後継ぎが欲しいという欲望
 ・老後や墓守をして欲しいという欲望
 ・美人の女の子が欲しい、ハンサムな男の子が欲しい
など、様々な願望があるでしょう。

【第2段階】
さて、程なくして妻が身ごもりました。どうなるでしょうか?
 ・浴びるほど飲んでいたビールを我慢する
 ・大好きなケーキやお菓子を少し我慢する
 ・暴飲暴食を我慢する
など、我慢の日々が続きます。

【第3段階】
だんだん胎児も大きくなってきました。生活はどうでしょうか?
 ・おなかの子どもに話しかける
 ・胎児の栄養を考えた食事にする
 ・体は重いけど、なるべく体を動かすように心がける
 ・腹部を圧迫しないように慎重な生活をする
 ・子どものために服やミルクなどをそろえる
など、我慢と言うより子どものための生活に変わります

【第4段階】
さらに進むと、
 ・風邪で高熱を出しても薬を飲まないで我慢する
 ・健康で五体満足でさえあればと願う
ここまで来ると生まれてくる子どものことしか頭にありませんね。
子どものために我慢しているとか、犠牲になっているという思いも何処かに行ってしまった感じです。

(第1段階から第4段階の分類は、説明のための私の勝手な分類です)

よく聞くことですが、「産んだら母胎が危ない」と言われたとき、「私は死んでも良いからこの子は生かしてください」と懇願する母親も少なくないと聞いています。
誰もが重いお腹を抱えながらも、自分の不自由さや苦しさなんか忘れてしまって、生まれてくる子どもの将来を心配しています。

第1段階では、言葉は悪いですが「自己中心な思い」が強いです。「私が子どもを欲しい!」という思いです。第一子の場合は多くが「自己チュー」だろうと思います。

それが第4段階になると、「生まれてくる子供が幸せになって欲しい」に変わっていきます。自分の願望ではなく、子供の幸せを願います。もはや自己中では無くなっています。

こうして僅か40週間の間に、女性は「母親の愛情」を持つようになります。これは感動的なことだし、奇跡的というか不思議な感じです。どうして短期間にそれほど変われるのか。

男性は40週間では変われない事が多いようです。私は3人目で初めて新生児の夜泣きを愛おしく思うようになりました。2人目までは正直言って苦痛でした。まあ私は特に問題なのかもしれませんが、女性が母親になるのに比べて、男性が父親になるのは遅れるだろうと思います。

母と父では多少の違いはありますが、子供が幸せになって欲しいという思いは、子育てをする以前と比べると比較にならない程、その思いは強くなっています。

戦場で、赤ちゃんを守るようにうずくまって死んでいる母子の姿をよく見かけると言うし、火災現場では、自分の体を防火壁にして子供を守ろうとしている親の姿をよく耳にします。

だから、子供を守るのは企業ではなく、政府でもなく、親なのだと思います。

たいした安全も保証してくれないのに「安心安全ケータイ」なんて名前を気軽に付けてしまうような企業に騙されないで、親の目線で、親が願う安全の基準で子どもたちを守っていきたいものです。
posted by こまもりパパ at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

2008年01月08日

ようやく我が家にゲーム機が

実は、我が家にはテレビゲーム機がありませんでした。

今やファミコン、プレステなどが無い家が少ないくらいの時代ですが、買いませんでした。

ゲーム機を買うかどうか、妻と何度か話し合ったのですが、共通の考えは、
 @暴力や殺りくのゲームは絶対ダメ
 A一人で、しかも時間がかかるゲームはダメ
 B兄弟全員が遊べないとダメ
です。

@については、暴力や殺りくの映像を見ることでどれくらいの悪影響あるのか分かりませんが、普段は滅多に見ることのないシーンを見続けるのですから、たぶん悪い影響が多いだろうということで禁止です。

Aについては、
 一人の遊びになってしまうこと
 自己中心(兄弟の参加を拒否すること)になること
 すぐに終われない(きりの良いところまで何分もかかる)
ということで禁止。

Bについては、操作が難しくて遊べない子がいるとトラブルの元だし、ゲームによって兄弟で遊ぶ時間が減るのは良くないということで。

と考えました。
(我が家の勝手なルールですから、正しいとは限りません)

そういうルールは決めたものの、友達はプレステ2で遊び、DSを持ち歩き、その姿を見ながら寂しそうにしている子供たちを見ていると、なんだか残酷な事をしているようで、可哀想だから買ってあげようかとか、クリスマスや誕生日の度に心が揺れ動いていました。

でもついに買いました。買ったのは任天堂のWiiで、ソフトは、「Wii Sports」と「マリオ&ソニック AT 北京オリンピック」です。
どれも同時に遊べることと、暴力殺りくが無い上に、5歳の子でも結構遊べるし、白熱するとかなりの運動量になるので、これなら問題ないということで購入しました。

中2の長男はPSPが良かったみたいですが、それでも兄弟と競い合って楽しんでくれています。下の3人は無条件に喜んでいます。

5歳の末っ子がわがままで、トラブルメーカーになっていますが、上の子たちもだんだん弟の扱いが上手になって来ている感じです。弟のやりたいことを優先してあげたり、替わってくれたらお菓子をあげるよと言いながら上手に対応しています。
まだまだゲームを巡って兄弟げんかも多いですが、揉まれながら成長していってもらいたいものです。

一番幸せになったのは親の方かも知れません。ゲームを買ってあげられない心苦しさから解放されましたから。
posted by こまもりパパ at 13:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年11月25日

松居和氏の講演

先日、松居和(まつい かず)氏の講演を聴いてきました。

松居和氏は、米国で活躍されている松居慶子(ジャズピアニスト)のご主人で、松居慶子のプロデューサーであり尺八奏者としても活躍されている方です。
その音楽関係の仕事をされながら、子育てに関して熱心に講演活動をされています。

何年か前に一度講演を聴いたことがあり、ネットで偶然見つけたので聞きに行ってきました。

面白おかしくお話されるのですが、内容はとても重要なものだと感じています。すべてを紹介することは出来ませんが、すこしだけ紹介します。

話の中でよく「幸福のものさし」という言葉が出てきます。幸せというのはその「幸福のものさし」の持ち方次第だと仰っています。

「自由が幸福」、「不自由が不幸」と考える人たちが結構いるが、そう考えると、結婚は「自ら進んで不自由になること」だし、子供を持つということは「さらに輪をかけて不自由になること」だから、すなわち「不幸」となってしまう。でも、本当に不幸だったら、人類はとっくの昔に滅亡している。その不自由さの中に幸福を感じてきたからこそ、いまの人類が続いている。

そのためには、人間関係の不自由さの中に幸福を感じる「ものさし」が必要だし、子育ての中に幸福を感じる「ものさし」が必要であり、人類は古代からそのような「幸福のものさし」を持ってきたという話です。

でもそれが、米国では失われてきている。日本はまだいい。米国では3人に1人の子供が父親なしで生まれてくる。さらに、養育費を家庭に入れない父親には自動車免許を取り上げるという法律がいくつかの州で成立されている。そのくらいの圧力をかけないと、父親が子育てを放棄してしまう社会になっているそうです。

米国では、小学校で実の父親がいるのが半数以下だから、「父親がいない家庭」という表現よりも「父親像となりうる男性がいない家庭」という表現を多く使うそうです。それくらい家庭が崩壊している。
そんな国を日本人は「先進国」と呼んで真似をしている。

日本は先進国では奇跡的なくらい家庭が維持できている、なんでもかんでも米国の真似をしてはいけないと仰っています。

「他人が幸福になることで自分が幸福を感じる」という「幸福のものさし」を持ったら、子育てはほぼ問題ない。
たとえば、子供の自転車練習はお父さんが担当するとかがいい。父親に忍耐力がつくし、自分が忍耐して教えたことが子供に実るという喜びを体験することが、親として成長することだということです。

だから「親らしく」なるためには、子供に関わる生活、特に幼児に囲まれながら生活するのが一番だそうです。裏表もない、駆け引きもなく、楽しそうにしている姿の中にこそ、自分が忘れていた「幸福のものさし」を発見できるそうです。

親自身が、子育ての中に自分の幸せがあることを見つけられることだということのようです。その親の心が失われてしまった米国で少年犯罪が多いことなどを比較しながら多くの話をしてくださいました。

講演の内容は、米国の家庭の様々な現状、日本と欧米の違い、義務教育の問題、保育園との関係、父親の役割、母親の役割、受験戦争が家庭の絆を強めるなど、1時間程でしたが、とても紹介できないほどの内容でした。

これは、多くの方に直接聞いていただきたい内容だと感じています。


松居和のホームページ
http://kazumusic.com/kazu_matsui/index.html
posted by こまもりパパ at 14:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年11月18日

こまもりパパの苦戦

こんなホームページを作り、ブログで偉そうなことを書いているこまもりパパは、さぞ立派な家庭を築いている事だろう
と美しい誤解をされそうなので、早めに白状しておきます。

わたしは子育てにものすごく苦戦しています。特に中2の長男とは
どう付き合ったら良いのか試行錯誤の毎日です。我が子なのに緊張してしまいます。いじめを受けていたことも何ヶ月も気がつきませんでした。親としては落第点です。

不安な理由を考えてみると、「自信と確信がない」に尽きます。子育てはこうすれば良い、中学の男の子にはこんな風に、小学校の女の子にはこんな風に‥、それが分からないんです。

私は小学生時代にいじめから登校拒否していたし、中学、高校に行っても決して良い性格ではありませんでした。
だから、自分が親から受けてきたものを、何は良くて何は良くないのか判別する必要があると思っています。

自分が受けてきたのと全く同じ事を、私が子供にしたときには、自分と同じレベルになってしまいそう。それでは進歩がないし、自分と同じ幼少期ではあまりにも可哀想です。だから悩みますし、自信が持てないのです。

でも、妻は親から、特に母親から多くの愛情を感じて育ってきました。もちろん私も深い愛情を受けていたから立ち直ったのですが、「とっても分かりにくい愛情」でした。大人になって気がついてみれば愛されていたって感じです。

でも妻の場合は「分かりやすい愛情」を受けてきて、小さい頃から母親を尊敬していたし、その母親を超えることが夢だったそうです。未だに、子供の数以外では母を超えていないと申しております。

私は、そういう妻を通して、我が子への対し方を学びました。というより、学んでいる真っ最中です。

そんな自分だからこそ、子育てを成功したら価値が大きいし、自信の持てない多くの人たちに自信を与えられるようになると思いながら(自分を慰めながら?)頑張っているところです。
posted by こまもりパパ at 02:36 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年10月19日

過激な性教育のその後

一時期、小学校や中学校で過激な性教育が流行っていましたが、今は落ち着いているのでしょうか。

ある小学校で、新しく赴任してきた先生が、保健体育の時間に性教育のビデオを子供に見せるという話を聞き、事前にPTA役員の働きかけで保護者が見られることになりました。

それは「北沢杏子」という過激な性教育を推進している人のビデオで、
男女の性器付き人形を使った性行為の実演を行う内容のビデオでした。

ビデオの内容を正確には覚えていないのですが、ちょうど同じような内容のビデオがありましたので紹介します。

小学校の異常な性教育授業風景
http://www.youtube.com/watch?v=bRt442KLJtw

危険な性教育@性器性交教育教材(小中高校生用)
http://www.watchme.tv/v/?mid=d90d801833a681b169e4f86c64784cdd

校長先生に話したところ、それは学習指導要領を逸脱しているということで、ビデオを子供に見せることはストップがかかりました。

たぶん、子供がこのビデオを見たら、「私は性行為によって生まれた」「両親がエッチして生まれた」とすこし傷つく子も少なくないでしょう。
でも、子供を産むというのはエッチだけじゃないですよね。そこには、子供が欲しいという思いや、育てる覚悟があるわけですよ。

それに、親が子を思う愛情は「基本的に見返りを求めない愛情」です。おむつを取り替えた回数を記録して、大人になったら請求しようなどと考える親は滅多にいないでしょう。でも、子供たちにはそのような愛情の世界があることを知らないでいます。

そんな心の深い世界を知らない子が、性行為という外面的な行動を見ても、そこにこめられた愛情の深さや、子供を産んで育てようという強い思いまでは悟ることができないと思います。

だから、性行為を教える前に、子供に教えるべきことが沢山あると思っています。

そういう点から、性教育の担当者に求められる資質を考えてみました。
・夫婦が心の深いところで愛し合っていて
・親は子を命がけで守る覚悟がある
そんな家庭の父母である先生にしか、性教育を行う資格は無いと思うほどです。

裏返せば、
・結婚していない、または離婚した人
・子供がいない、子供をいとおしく思わない人
という大人には性教育の資格は無いと考えています。

誤解の無いように言いますが、こういう人を非難しているわけではありません。運の悪い人もたくさんいますから。
ただ、性教育に関しては、夫婦の愛情や親子の愛情が分からない人は指導者になれない(正しく指導できない)と考えています。

考えてみれば当然だと思いませんか? 
性教育というのは、積極的に教育したい訳じゃなくて、今の乱れた社会の中でも人生を失敗しないで「幸せな家庭を築いて欲しい」という思いで仕方なく教育するのが現状でしょう。
ということは、幸せな家庭を築いていない人に、その目的は果たすことなど不可能ですね。

校長先生の判断で救われましたが、過激な価値観を持った先生も、まだまだ国内には潜在的には残っているのだろうと思っています。

日本の性教育の第一人者と言われるような人たち(山本直英氏など)の話は、どうも家庭を大切にしない感じを受けます。結婚していない人も多いし。それから、何故か、社会批判、社会に責任転嫁をするひとも多い気がします。

幸せな家庭を築いた親が、性教育の指導者になってくれたら、性教育にも希望が見えるのでしょうけど。


【関連資料】

その他の過激性教育関係の映像

"行き過ぎ"性教育に首相「これはヒドイ」
http://www.youtube.com/watch?v=O70vombZZq8


配布中止になった中学生向けの過激な性教育資料
「思春期のためのラブ&ボディBOOK」
の問題を扱ったページ
http://popup12.tok2.com/home2/education/data/newspaper-landb.htm

性教育これでいいのか
http://popup12.tok2.com/home2/education/
posted by こまもりパパ at 12:51 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年10月13日

家庭が大切な理由

をよく考えることがあります。

本を読んだり、誰かの話を聞いたりしながら、自分なりに考えています。誰かに説明できるほど整理されていないのですが、少しずつ整理するために書いてみようと思います。


社会の最小単位は個人ではなく家庭だと思っています。家庭が社会の縮図だと思っています。


まず、社会には人間関係が大切である事を考えれば、最小の社会は個人でないことは明らかです。個人にまで分割してしまうと、社会に必要な要素が無くなってしまいますから。

社会には、師弟の信頼関係(教師と生徒、上司と部下など)がありますが、家庭の親子の信頼関係にすべて含まれていると思います。

社会には友情関係がありますが、家庭の兄弟愛にすべてが含まれています。

社会全体が幸福になるためには、自己中心や自己主張だけでは成り立たず、自己否定(他人を尊重)することも重要です。これも、家庭の兄弟関係で訓練されます。自己中心の思いだけでは兄弟は分裂します。

社会の維持には、上下左右の秩序を維持することが重要です。これも親子、兄弟の秩序を維持することで家庭が円満になることを学習していきます。

社会では、お互いを非難しあうのではなく、助け合い、弱点をカバーしあってこそ幸せな環境が維持できます。それも家庭の中で学習していきます。

このように、家庭の中で学習したことが、そのまま社会に必要な人間としての要素になるのだと思います。


私はサラリーマンですので会社と比較することもあります。

家庭では、家族全体が「幸せな生涯を送る」ことを目指して努力しています。会社で言えば企業理念でしょうか。

そのためには小さい頃にどんな躾が必要で、読み書きの能力が大切で、感受性も大切で、友達もたくさんいて、責任感、正義感も強くて‥‥など、親は(漠然と?)計画を立てます。家庭ごとに特色があります。会社でいえばビジョンや経営戦略といったところでしょうか。

「幸せな家庭を作りたい」という共通の願いを実現するために、時には言いたいことを言い、時にはじっと忍耐をしながら、常にお互いを信頼しながら前に進んでいくのが家庭の姿です。
これは、社会のあるべき姿でもあると思っています。

書き始めるときりがないのでこの辺で止めておきますが、家庭と社会は通じるものが非常に多いと考えています。

でも、「共存の社会」よりも「生存競争の社会」という意識が強い会社は、家庭とは乖離した経営になりますが、それは正しい経営では無いだろうと思っています。


会社では偉いけど家庭はメチャクチャという人は、何か大切なものが欠如しているのだろうと思います。
欠如している理由は様々で、その人の親に原因があることもあり、単純に責めることは出来ません。

まあ、こういう事は、(家族を含め)他人に当てはめても良いことは無いので、そうではなく、自分に当てはめて自分のチェックに使うのが正しいのだと思っています。

こういう事を考えると、子供が少ない家庭では、親は育っても、子にとっては良い教育環境とは言えません。子供はたくさんいた方が自己否定も多く、情の幅も広がり、とても良いと思います。

自己否定がなぜ重要かというと、自己否定というのは、自分の思いを一切押しつけないということですから、その上で相手を理解しようとすれば、100%相手の事を考えて受け入れることになるからです。深く理解することが出来ます。
長く一緒に生活する兄弟であれば、相手を深く理解しなければ、毎日が苦痛ですから、自然に自分が折れて自己否定するようになっていきます。

もちろん沢山生まれない家庭もありますが、「自己否定の中でこそ生まれる真の兄弟愛」を学習するには大きなハンディキャップがあるのは間違いないでしょう。
そういう家庭は、子供に対して、他の家庭との間ででも、自己否定を伴う程の兄弟愛を経験する環境を作ってあげたらいいのだと思っています。
posted by こまもりパパ at 15:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年10月11日

スウェーデンの家庭崩壊

日本では「家庭が大切」というのは半ば常識と言えるだろうと思いますが、国によっては「個人」を重視しているらしいです。(聞いた話です)

福祉先進国と言われるところ(スウェーデンなど)では、離婚しても、結婚しないシングルマザーでも、同棲で子供が生まれても、不自由なく暮らせるように国が保護しているそうですが、家庭の支援ではなく、個人への支援が根底にあるそうです。個人主義ですね。

スウェーデンでは、夫婦別姓の選択制を早くから採用した国でも有名です。

しかし、事実上の離婚率は50%を超え、結婚から離婚までの平均期間が約10年という離婚、再婚大国です。入籍をしない事実婚が半数に迫る勢いで増えていて、入籍して生まれる子は1割にも満たない状態です。

若い世代で事実婚が半数を超えるようになるにつれ、男同士、女同士のカップルも増え、連れ子を含めて、子供たちを守るために、同棲と入籍の中間のようなサムボという制度を作ったりしていますが、家庭崩壊は止まらないらしいです。

都市部での構成割合で、最も多いのは母子家庭、その次に多いのは連れ子の夫婦、3番目が両親とも生みの親という家庭のため、学校でも両親が「生みの親」という子は20%程という状態だそうです。

また、離婚率といっても、結婚しないカップルが多数派になりつつあるため、単なる別離を調べないと、「一般的な離婚率」は出せません。だから正確な統計情報は無く、離婚率は分からないのです。

青少年の非行や犯罪も多くなって、日本で「夫婦別姓」を推進している人たちも、スウェーデンの名前は声高には出せないようです。
離婚率に触れないとか、事実婚を除いた結婚に対する離婚率だけを出したりして誤魔化しているようです。

もちろんスウェーデンをはじめとする福祉国家にも良い面があるのでしょうけど、単純に真似るのは危険だと思います。

しかし、夫婦別姓でも離婚の少ない国もあります。お隣の韓国がそうです。
韓国では「儒教の精神」がほぼすべての家庭に根付いていて、夫婦別姓の目的が「先祖(家系)を重んじる」ためであって、スウェーデンのような個人主義ではありません。
そのため、親子、兄弟を大切にする精神のおかげで、夫婦別姓でも家庭は維持できているのだと考えられています。

ただ、今の日本には儒教の精神の様なものは定着しておらず、「家庭主義」が減り「個人主義」が増えつつあるように感じます。なんだか心配です。


追記

友人から貴重なご指摘を受けましたので追記します。

その指摘は、スウェーデンを愛している方がこの記事を読んだときにどう思うかということでした。確かに読み返したときにとても失礼な表現だったと反省しています。スウェーデン国民全体を悪く言っている訳では決してありません。特定の国名も統計情報も出すべきでは無かったと反省しています。統計情報は見方や解釈次第で数値が大きく変わりますからね。

スウェーデンが「社会福祉」の面ではお手本となる先進国の一つであることは間違いありません。そこで生活している方々も良さそうです。最近の日本人よりよっぽど良いのかもしれませんね。

私は政治とか経済とかは専門ではないので(根っからの理系です)このような話は専門家にお任せするのが良さそうです。

私が言いたかったのは、「社会が十分に保護してくれると、家族や親戚が助け合う必要が無くなってしまう」という点です。「自分が妻を捨てても、親を見捨てても、国が助けてくれる」という安心感は果たして良いことなのか疑問だということです。今思えば、特定の国名や統計情報を出さなくても書くことが可能でした。

私のわずかな経験ですが、夫婦の関係が難しい時には、妻や親や子供に対する責任感で乗り越えることが少なくありませんでした。でも、自分が責任を持たなくても社会が保護してくれるとしたら、今までもこれからも家庭が維持できるかどうか‥。悲しいけど、これが人間の弱さですね。

こういう話に賛否両論あるのは分かっています。仕方ないですね。
ただ、私が無神経にスウェーデンを例に出したために不快な思いをもたれた方がいらっしゃるかもしれませんので、その点は謝罪いたします。申し訳ありませんでした。

結婚生活で幸せを感じている方や子育てで幸せを感じている方は
共感して頂ける部分もあると思いますが、結婚や子育てで不幸を感じている方には受け入れがたい話かもしれません。

結論
「恵まれている」っていうのは、手放しで喜べないことが多いです。
posted by こまもりパパ at 13:03 | Comment(8) | TrackBack(1) | 子育て情報

2007年09月29日

美しい心は4歳までに形作られる

今月、職場で長く一緒にいた女性が二人、出産のため休職されました。寂しいような、でも喜ばしい複雑な気持ちです。

少し前に縁があって、ある国連NGOが主催する教育関係のシンポジウムに参加しました。私は70名ほどの「親の役割」の分科会に参加したのですが、そこには教育委員会、校長先生、教員、PTA会長あるいは子供の教育に関わる仕事やボランティアをされている(されていた)方が半数以上いらっしゃいました。私にとってはとても有意義な場でした。

そこでのほとんどの方の共通意見として、3歳4歳くらいまでの子育てが最も重要ということでした。その間に親から受けた情緒的な感情を大人になってもそのまま持ち続けるというのです。

また、昔は、「赤ちゃんが母親を求めるのは生理的欲求が満たされるため」だと考えられてきましたが、最近の研究では、「生まれたときから人を愛する本能がある」ことが分かってきたそうです。

赤ちゃんには、生まれたときから人を愛そうとする本能があって、母親との良いふれ合いによって、万人を愛するとか信頼するとかいう高等な感情に育っていくというのです。

逆に、母親とのふれ合いが悪いと、赤ちゃんでもその心が傷つき、愛することも信頼することも出来ない心になっていくといいます。


我が家はどうかな? 妻が多くの愛情をかけて4人の幼児期の子育てをしてくれました。子育ての喜びを知らなかった当時の私には全く理解できないほどで、「この忍耐力はどこから来るのだろうか?」と不思議でなりませんでした。だから大丈夫かな。

もし私が母親だったら(あるいは妻がいなかったら)幼児期の子育ては大失敗に終わっていました。(考えると恐ろしい)
だから妻には頭が上がりません (ほんとに)

もちろん5歳以上だって子育ては重要に決まっていますが、「子供の美しい心を築くのは3歳か4歳までが最重要」というお話です。
posted by こまもりパパ at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年09月18日

寂しい思いをしている子を常にチェック

これは最近聞いた話で、たいていの方には常識かもしれませんが、私は教えられるまで気がつきませんでした。

「寂しさ」「孤独感」「疎外感」表現はいろいろありますが、どれも「何だか愛されていない感じ」ですね。
その気持ちを放置しておくと、それを自分で埋め合わせようとする結果、心が屈折しやすいというのです。
「自分が悪い子だから愛されないんだ」
「どうせ自分なんて大事な人間じゃないんだ」
「期待した自分が馬鹿だったんだ」
とか。

本心は「愛されたい」「理解されたい」って渇望しているのに、諦める理由付けをして解決しよう(ごまかそう)としてしまいがち。そんなことを繰り返していると、そういう心の「癖」が付いてしまうし、その心の空洞は、大人になっても空洞のまま。

だから、何気ない一言で寂しい思いをしている子がいないかを常にチェックして、寂しい思いをしている様だったら、すぐに呼び出して美味しいものを食べさせたりして、きちんと心を満たしてあげる必要があるというのです。
出来るだけ3分以内、30分以内くらいで片付けるべきだと言われました。

言われてみれば当然のこと、でもこれまで深刻には意識してきませんでした。

何かと後悔することが多いです。
posted by こまもりパパ at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

「子まもり」じゃなく「子育て」

の情報を集めていたのですが、携帯電話の危険性を知ってしまったため、先に「こまもり」のサイトを作ることにしました。
そのあとで「子育て」をまとめる予定でした。(まだ過去形にするには早すぎますか)


よく聞く話で、子育てで一番大事なのは3歳までって言われていますし、その次には小学校に入るまでだそうです。これを読んでくださっている方は既にご存じかもしれませんね。

とにかくその間は、子供の情緒を決めてしまう重要な期間で、そのときに失敗すると、その後の軌道修正はかなり困難だそうですね。

その間に、親からの無条件の愛情を感じられるかどうかがキーポイント。「無条件」じゃないと意味がない。「良い子だから愛する」という条件付きではダメだというのです。

「良い子じゃなくても、失敗しても、たとえ悪いことをしても、親はいつも変わらずに私を愛してくれるし、いつも味方だ」って確信が持てれば、生涯にわたって、失敗を恐れず、正直に生きることが出来る人になる。
逆に、条件付きの愛情を受けると、人目をとても気にしたり、良い子の振りをしたり、失敗を隠したり、自分の非を認めず責任転嫁したり、そんな人間になってしまう。


って聞いていたのですけど、私はずいぶん失敗しました。自分に愛情が無いというか、忍耐力が無いというか、いろいろと小言を言い続けてしまいました。意識はしていたんですが、ガミガミ言ってしまい、すぐに後悔する毎日。親としては失格というか、子供には誠に申し訳ない気持ちです。子供は親を選べませんからね。もっと愛情の深い親だったら子供も幸せだったのでしょうけど。

これから挽回して穴埋めしていかなければ...
posted by こまもりパパ at 22:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年08月21日

少子化と 父親の愛情 との関係

これは単に私の経験ですが、
「男性は子育てによって父親の愛情が育つ」のだと思っています。

我が家は4人の子供がおりますが、最初の2人は、生後数ヶ月のあいだ可愛いと思えませんでした。特に夜泣きは苦痛でした。

もちろん虐待なんてしませんけど、「また泣いている」「うるさくて眠れない」なんて思っていましたし、そのうち泣いていても目が覚めなくなってしまいました。
子守りを頼まれても、オムツを取り替えるのをすっかり忘れたりして、悪気はないんだけど、子供に意識も無い状態でした。父親としては失格です。

それに比べて、妻は、ちょっと泣いただけですぐに目が覚めて、意識がもうろうとしていても嫌な顔もせずに、授乳をして、オムツを取り替え、赤ん坊に話しかけていました。とっても不思議でした。全く理解できませんでした。
「きっと、自分とは育った環境が違うからだ」などと思っておりました。


そんな父親らしからぬ私ですが、生後半年も経てば、あやせば笑ったり、それなりに反応があるので、「可愛いなぁ」って思うようになります。その頃からは喜びも出てくるんですけど。

ところが、3人目の子は、生まれたときから可愛いいと思ったんです。あとで写真を見ても区別がつかないくらい同じ顔。だけどすごく可愛いんです。つまり、可愛い子が生まれたんじゃなくて、自分が変わったんですよね。

物理学専攻で分析タイプの私は、「生まれたばかりの赤ん坊に話しかけても言葉が分かるはず無い」と分析しています。
でも我知らず、気がついたら話しかけていて、「あぶー、がぁー、ぶー」とか訳の分からない言葉を発し、時には大人相手みたいに普通に話しかけている自分がいて、自分でも不思議な感じでした。

4人目には、お腹にいるときから話しかけたりして、自分もずいぶん変わったなぁと、自分の変化に驚いてしまいました。


もし、子供が2人だけだったら、生まれたばかりの「毛むくじゃら」が可愛いという感情は得られなかっただろうし、子供が3人だけだったら、お腹の中の子が可愛いくて「早く会いたい」という情は得られなかったと思います。

4人の子供を育てることが出来たからこそ、自己中心だった私にも、父親としての情が少し育てられたと実感しています。

自分の体験を人に話したところ、「うちの主人も3人目から父親らしくなった」という家庭が結構いて、私だけじゃないんだと知りました。

40週間も毎日朝から晩まで胎児のことを考えながら生活する母親とは、スタートラインが違うこともあるでしょうけど。
父親は、子供を多く育てたぶんだけ、父親としての愛情が育つのだと思っています。

(もちろん一般論で、例外はたくさんあると思いますが)

私の周りに5人、7人のお子さんがいる家庭もいて、(単純に人数で決まるとは思っていませんが)、きっと私の知らない子育ての喜びを経験されているんだろうと思っています。


近頃は少子化によって、子育ての経験が少ない父親が増えていますから、父親としての喜びを得られず、愛情も十分に育たない場合が多いんじゃないかと思います。
「子育ては疲れるから、この子だけで十分」なんて話を聞くと、子育ての喜びを経験できずに終わってしまうんだなと、すこし気の毒な気持ちになります。
posted by こまもりパパ at 00:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年08月10日

子供の教育には3段階ある

これはずいぶん前に聞いた話です。

子供の教育に3段階あるというお話で、その方は、

1.情操教育
2.規範教育
3.専門教育

という分類をされていました。

順番は必ず、

 情操教育 → 規範教育 → 専門教育

でなければならないと言っていました。


●情操教育は、「心の、喜びと、悲しみと、痛みを教えること」

「心の喜び」とは、

褒められるとうれしい
愛されるとうれしい
お母さんが喜んでくれるとうれしい
そういう喜びを体験すること。

心の感性を育む段階で、情操教育の中心だそうです。
これが出来るまでは、次の規範教育に進むべきではないと仰っていました。


「心の悲しみ」とは、

叱られると悲しい
お母さんが泣いていると悲しい
友達が泣いていると悲しい
そういう悲しみを体験すること。


「心の痛み(苦しみ)」とは、

誤解されると心が痛い
相手を傷つけたら自分の心が痛い
そうして「心も傷つく」ということと、その傷が痛いということを体験すること。
また、悲しみの淵から再び立ち上がろうとするときの苦しみを知ること。
これを早い段階で体験すると、思いやりの深い心になる。
ただし、そのためには十分な「心の喜び」の体験が必要。


●規範教育

情操教育の土台の上で行われるべき教育。

善悪をの判断基準を教えること。

その判断基準は、

「自分なりの基準」ではなく、「相手や全体にとって良いのか悪いのか」にあることを教える。

また、「今だけ良い」のではなく、「将来にわたっても良い」かどうかにあることを教える。

そのためには、忍耐や自己犠牲が必要な場合もあることを教える。


●専門教育

情操教育と規範教育は、すべての子供に必要な普遍的な教育ですが、専門教育は、技術、芸術など、その子の才能を育てる個別の教育。

中には、幼少時から行うべきものもあるが、その場合でも、情操教育と規範教育は必ず並行して行う。

また、情操教育と規範教育が不十分であると、迷いや挫折しやすくなる。
また、その子の専門性は、社会貢献と無関係な自己満足の専門性になり、時には社会に対して害となることもありえる。

という話でした。


私は子の話でとてもショックを覚えました。

「もっと早く聞きたかった」という思いと、「子育てを試行錯誤する前に聞いても深くは理解できなかっただろう」という思いが交錯していました。

「遅くなったけど、今からでも挽回しよう」という思いで子育てをやり直しているところです。
posted by こまもりパパ at 11:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報

2007年07月12日

子供に不信電波を送り続ける親

先日、とても面白い話を聞きました。
「子供に不信電波を送り続ける親が多い」という話でした。


この話は「うちに問題児がいる」と言っている親に話すそうです。

例えば、食事中に食べ物をよくこぼしたり、コップを倒したりして、食卓を汚す子。
お母さんは落ち着いて食事もできませんね。

「またこぼしたの? よく見ないからよ!」

そんなお母さんは、食事をしながら
「昨日は、コップを倒して汚した」
「その前の日は、みそ汁をこぼした」
「今日も何かやるかもしれない」
と思いながら、時々子供の様子を見ながら食事をしている。

「大丈夫かなぁ」
「今日も何かこぼすかもしれないな」
「いや、きっと何事もなく食事が終わるはずがない」
「そうだ、今日も何かするに違いない」
「絶対に何かある」
「そろそろ何か起きるぞ」
  ・
  ・
(子供がみそ汁をこぼす)
  ・
「やっぱり起きた。思った通りだ。今日も何かあると思っていた」

よくある光景ですね。

このとき、このお母さんは子供に対して不信感を抱きながら対している。子供に「不信電波」を送り続けているというのです。
「今日も失敗するぞ」って思いながら(念じながら)子供を見ている、そのとき念じている思いが不信電波として子供に届くというのです。

そうやって、親から不信電波を受け続けて育った子供は、問題児になるという話です。
親が「問題を起こすぞ」と念じている。親が念じた通りに問題児になる。

ちょっと見方を変えれば、「親の願いが成就した」ことになるという話です。


話を聞いて「なるほど」って思いました。
子供を信じて育てるのか、不信の思いや批判の思いで育てるのか。大きな違いがありそうです。
その思いが電波のように伝わって、その親の思いを何年も受け続けながら子供が育つ。

「なるほど」って思ったその直後、「やばい」と思いました。
うちの子にも不信電波を送り続けてしまった。きっと放射能汚染ならぬ不信電波汚染されている。
大量の不信電波を送り続けた記憶がある。

この話を聞いて、これからは「信じる」電波を送り続けて汚染された子供の心を浄化しなければと、意識を変えることにしました。

でも、長年の癖で、すぐに不信電波を出してしまう私... トホホ。
posted by こまもりパパ at 23:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て情報