2010年01月07日

福沢諭吉の教育の目的

久しぶりの投稿です

福沢諭吉の「教育の目的」を読みました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46734_26143.html

といってもとても短い文章です。

しかし、なかなか深いところで本質を突いていると感じます。


皆が平安を好んでいるし、平安を求めている。これは、悪人は他人の平安を破壊するが、やはり自分の平安や家族の平安を求めている。
しかし、平安(欲望と言っても良いと思います)は求めても求めてもキリがない。衣食住が足りてもまだ欲望は続く。

他人を害しても、家族の平安を求める者。他国を害しても自国の平安を求める者もいる。

ここで、貧困を救助し、文盲を教育する者がいる。これを仁人君子と称する。外的な平安よりも精神的な平安を好む人である。

教育というのは、このような人を育てることをいうのだというのです。

「けだし今の世界各国の人民は、自から安楽を知りて他の不幸を知らざる者なり。一国内形体の安全を求めて、国外の安全に愉快を覚ゆるの精神に乏しき者なり。すなわち国の教育の未だ上達せざるものといいて可なり。」

なかなか素晴らしいです。
今の学校教育は、経済競争社会に勝つための知識を教えている傾向が強いように感じますが、このような事を教えるべきだと思います。
posted by こまもりパパ at 10:55 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
新年明けましておめでとうございます。新年早々皮肉を言うのもなんですが、大事なことなので書いておきます。自分の快楽や物欲のすべてを犠牲にしてまで、他人の命を救おうとする人はそういません。他人の命よりも自分の快楽の方が重いというのが残酷な現実です。実際大人は多くの人が救えるはずの大金を風俗やパチンコに使っていたりするじゃないですか。そう言った意味では我々豊かな国の人間は皆悪人ですが、こういう事実も包み隠さず子供たちに伝えるべきです。
Posted by 12434 at 2010年01月07日 23:12

はじめまして。色々と検索をしていくうちにこまもりさんのブログへ辿り着きました。

福沢諭吉は凄い事を書いていたんですねぇ
びっくりしました。中高生のうちに授業で習いたかったなぁと思います。

今の世の中は自分さえよければいいという風潮ですね。それが故に起こる問題や事件も生まれている。やはり学校の教育方針もその様な風潮になる原因の一つですよね。

精神的な平安を好む人間を創る教育をしていけば、困っている時に手をさしのべようという気持ちが生まれて、人と人の絆が生まれるかもしれない
あとは自分と違う価値観の人間や違う人種の人間を排除したりする気持ちが薄くなるかもしれない
理解までいかなくとも共存することができるような気持ちが生まれるかもしれない

しかし今のこの現状はあまりよくないと嘆きたくなりますよね

けれど私はこまもりさんの様に、まず問題提起する事、それはとてもいいと思います。何もしないよりは何か行動を起こして発信し続ける。

私も自分なりの方法で発信し続けようと思います。
ありがとうございました。
Posted by 孤肯 at 2010年01月25日 17:44

孤肯さんに一つ質問させていただきたいことがあります。自分さえ良ければというのは、今も昔もあまり変わらないのではないでしょうか?
Posted by 12434 at 2010年01月25日 19:11

12434さんの仰るとおり、自分が一番大切なのは誰でも同じと思います。ただ、自分以外の人をどれくらい愛おしく思うかが人によって違ってくるだけだと思います。

究極は、我が子のために自分の命を投げ捨てる親の愛情だったり、愛する恋人のために犠牲になることを惜しまない人だったりするのでしょう。

ほぼ100%自己愛の人もいれば、我が子だけは愛せるという人、家族だけは愛せる人もいるし、友達までなら愛せる人もいる。同じ民族、同じ宗教、同じ人種なら愛せるという人もいる。そういう違いではないでしょうか。
Posted by こまもりパパ at 2010年01月26日 10:37

孤肯さん、コメントありがとうございます

最近の日本は、物質的に豊かになったためか、ハングリー精神というか自分が世の中を良くしようという志を持った人が少なくなったと嘆く声をよく聞きます。世界レベルで見ればまだまだ深刻な問題が多いのに。

平和を体験したことがない人が平和な世界を作るのは難しいでしょうけど、平和を知っている日本人なら、紛争や飢餓で苦しんでいる地域を平和に導くことが出来ると思っています。

世界を良くしようという志さえあれば...。
そのような人を育てる学校教育にしたいものです。
Posted by こまもりパパ at 2010年01月26日 11:13

こんなことを言うのは難ですが、こまもりパパが自分の物欲の多くを犠牲にしてまで、ただの赤の他人の命を救おうとする人には思えません。だから私もあなたも偽善者みたいなモンだと。
Posted by 12434 at 2010年01月27日 21:41

私は偽善者ですか。ちょっと残念。
12434さんに善人と言われるようになるには、まだまだ修行が必要なようですね。
Posted by こまもりパパ at 2010年01月28日 16:27

あなたは聖書の神を信じていると聞きます。ではもちろんご存知ですよね?全ての人間は罪人だという教えを。この教えにもとづくならあなたも私も偽善者(罪人)とできることもあると思いますが、いかがでしょうか?
Posted by 12434 at 2010年01月28日 21:45

いきなり深い話になりましたね。

自分が罪人であるというのは自覚しています。なぜ「罪人」なのかというのは人によって様々なようですが、私は、「神様の気持ちが分からない自分であるから私は罪人」という理解です。

欠点しか見えない人が目の前にいても、神様に「あんな奴のどこが良いのですか?」って聞いたら直ぐに解決すると思っています。たぶん神様は、世界でその人にしかない長所を即答してくれるでしょう。それが分かれば、自分もその人を尊敬して好きになれると思います。

罪がなければそういう事が出来、罪の故に神様と会話が出来ないのだと考えています。
Posted by こまもりパパ at 2010年01月28日 22:54

貧困で苦しむ人々に、自分の人生を投げ打ってまで救おうとする人は確かに存在します。前に述べたゾマホン氏とかね。彼らは聖人と呼ばれることがありますが、逆にいうならこの世の大半の人間は人を救おうとしていないっていう証拠です。ところで、我々庶民は大金持ちに対して「そんなにお金があるなら貧困で苦しむ人に与えるべきだ」と思うわけですが、そう言う我々も人の命を救える金を自分の欲望を満たすために使っています。こまもりパパさんは違うのですか?
Posted by 12434 at 2010年01月30日 17:07

自分的には別に自分の人生を犠牲にしてまで困っている他人を助けたりはしないとしないといけないとはおもわないですね。自分のできることをすればいいんじゃないんですか。そして何よりも大切なのはそういったことに無関心でいないようにすることだと思います
日本の学校教育では上の記事のようなことを教えていないです。大事なことなのにね。
Posted by 河曾 at 2011年11月10日 22:25

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